天守閣とはどこの部分なの?それはコチラ!

あの・・・、天守閣ってどこの部分なんですか?

天守閣は、お城の一部分です。
ここでは、その事について解説させていただきます。

それでは早速、

  • 天守閣はどこ?
  • 天守閣の役目は?
  • 天守閣はいつの時代からあるの?

という順番でお話します。

天守閣はどこ?

天守閣とはどこの部分なのか。
冒頭の繰り返しになりますが、天守閣お城ではないのです。

じつは、この天守閣とは城内の1つの建物のこと。

城内で一番高い建物。
それが天守閣なんですね。

天守閣には、物見やぐらとして敵を発見する役割もあるのです。

さらに、天守閣には天下に城主の威信を見せつけるという役割もあります。
そんな理由で、天守閣は威風堂々とそびえ立っているのです。

天守閣を、実際に写真で見てみましょう。
黄色いラインで囲った建物、それが天守閣です。

もう一枚、松本城の天守閣の写真です。

天守閣は黄色のライン、小天守が白いラインです。

次は冒頭で少しだけ触れた、天守閣の役目についてお話したいと思います。

天守閣の役目は?

天守閣の役目を具体的に見ていきましょう。

まず、天守閣は城のシンボルでした。
天守閣は城主の権威を示すため、立派に作られました。

また、城主の経済力を見せつける物でもあったのです。
さらに天守閣によって、国の強さも誇示できました。

天守閣を目立たせよ!

「天守閣を目立させよ!」

城主の権威を見せつけるため、天守閣は、できるだけ目立つように建てられました。

シンボルとして天守閣。
高い所に石垣を積み、当時の最高層建築物である天守閣が鎮座。

石垣の積み上げ

石垣の積み上げは大変です。

まず、石切り場での石の切り出し。
石の運搬。運搬専用の船で運ばれました。

さらには、石の積み上げ。
国の威信をかけた天守閣の建築は大変な事業でした。

天守閣の役割!軍事面

天守閣の役目として、軍事的には物見櫓(やぐら)としての役割がありました。

天守閣から城下を見渡すことができるので、敵兵の攻撃を把握できるのです。

天守閣のマイナス面

天守閣にはマイナス面がありました。

それは、天守閣が目立ちすぎて、攻撃の対象になってしまうこと。
大砲で直撃されれば、ひとたまりもありません。

それでも天守閣!

それでも、天守閣は目立つように建てられました。

「敵に攻め込まれにくい場所は?」
と選定して、城内の奥地に建てられることが多かったようです。

天守閣に籠城だ!

天守閣は武装して、籠城(ろうじょう)できる準備がされていました。
城に攻め入られた場合の、最後の砦です。

非常食用に、食べられる畳をしいた城もあります。
現在再建が待たれる、熊本城です。

画像では、高知城の天守閣の一部を見てみましょう。
これは石落としという仕組み。
敵に石などを投げつけて、撃退するシステムです。

天守閣!住んだ城主はいなかった?

城主の威信を示すための天守閣。
ところが、この天守閣に住んだ城主はたった一人だけでした。

なにしろ、天守閣は階段が多いですからね。
エレベーターはもちろんありません。

城主は皆、平屋に住んで政治を行いました。

「ふーん、こんな風になっているんだな。」
一度だけ天守閣に見学で登っただけの城主もいたのだとか。

天守閣に住んだのは織田信長

天守閣に住んだ、たった一人の城主。
それは、織田信長です。

江戸時代の名だたる将軍も、天守閣には住んでいません。
江戸時代には、天守閣は貯蔵庫の役割も担っていました。

次の章では、織田信長と天守閣について見てみましょう。

きらびやかな天守閣に住んだ織田信長。

信長は、天守閣と一番密接に関わった武将だったのではないか。
そう思います。

天守閣はいつの時代からあるの?

「天守閣って、いつからあるの?」

私たちが知る、本格的な天守閣が初めて作られたのは、1579年。
作ったのは、その当時の最強の武将です。

その名は、織田信長

突如生まれた高層建築!

時は戦国、1579年。
安土城の天守閣は、当時の日本の建築史上で類を見ない高層建築でした。

安土城の天守閣の高さは32.5m
それが、標高196mの安土山の頂上に君臨し、威風堂々と領地を見下ろしていたのです。

信長の天守閣はローマまで!

信長が築いた天守閣は、ローマ法王にも報告されました。

「日本には素晴らしい城があります。」
「ヨーロッパ最高の城にも負けぬ出来栄えです!」

当時の日本には、ヨーロッパから宣教師がやって来ていました。
その宣教師がローマ法王に報告。

安土城の天守閣は、それほどに目を見張る出来栄えだったことが伺えます。

外側は分厚い壁の防備。
そして内部は、キラキラと金ずくめ!

凄さを知らしめるためか、安土城は一般人にも見学を許可しました。

そのため、お正月には見学者で溢れかえりました。
押し寄せた人々の重みに耐えきれず、石垣が崩してしまった程です。

天主から天守閣へ

天守閣を始めて作った織田信長。

信長は、その建物を天主と呼びました。
天主に住んだ信長は、自分を天の主(高い場所の主君)と言いたかったのかもしれません。

この天主殿主殿守、または天守という言葉に置き換えられて使われるように。
読み方は同じてんしゅです。

みんな、権力者が好みそうな名前です。

天守閣は江戸時代から

天守閣という言葉は、江戸時代に作られました。
江戸時代の終わりごろです。

名所図会(めいしょずえ)という本が出版され、そこに初めて登場。
この本は、当時のイラスト入り旅行ガイドブックです。

そこから現在まで、天守閣という名称が使われるようになりました。

閣は身分の高い人が住む邸宅

身分の高い人が住む邸宅という意味の言葉です。
お城の身分の高い人といえば城主。

そこから考えると、天守閣には城主が住んでいる感じがします。

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